真言宗豊山派



朝日山 萬歳楽院 法圓寺



2003年03月25日


往昔からそこに在るが如く梅古木





法圓寺には「黄金天神」といって、360年ほど 前、法圓寺の境内に祀られた天神様がありま す。
天神様は学問の神様で知られた菅原道真公 です。「東風吹かば にほひおこせよ梅の花  主な
しとて 春なわすれそ」 小職、去年出遭
った 雑梅の大木が忘れられず、とうとう思い 切って、
境内に植えてしまいました。「往昔から
そこに在るが如く梅古木」 天神様が喜んでく ださって、何よ
り嬉しかったです。


2003年04月12日


お大師さま(弘法大師石像)八十八 体復元




    お大師さま(弘法大師石像)八十八体 復元の趣意
        
 當山法圓寺の境内に、破損の著しい「お大 師さま」(弘法大師)の石像が三十数体ありま す。
寺に記録が残っておらず、詳しいことはわ
かりませんが、この石像はかなり古いもので、江 戸時代
のもののようです。古老の話によります
と、昔は八十八体あったということです。その 当時・仏法興
隆・寺檀繁栄・子孫長久・二世
(あの世とこの世)安楽を特別に願って、きっ と、當山の先師やご
先祖さまたちが弘法大師
に篤い信仰を寄せ、みんなでお祀り申し上げた のでしょう。昔から大勢の
人々がお参りされてき
たものであります。しかし、長い間風雪に晒さ れ、風化が激しく、痛々しくもほ
とんどのお首す
らもげている現状でした。
 幼い頃、このお大師さまのもとで遊ばれた記 憶をお持ちの方も多数おいでになり、この度、 何とか
八十八体のお大師さまを復元できない
かというお声が持ち上がりました。當山としまし ても、お大師
さまは真言宗の御宗祖さまでありま
すから、先師や先祖のお心を絶やすことのな いよう、復元できれ
ばまことにありがたいことであ
りますので、寺の役員のみなさまにお諮りいたし ましたところ、「是非実
現いたしましょう。」という
ことで、このたびの「お大師さま一体一体のご 寄進を仰ぐこと」となりました。
おかげさまで、ご
寄進くださる方がすぐに集まりまして、ここに、弘 法大師石像八十八体を復元奉
納させていた
だくことができました。
 また、中央にお祀りしてある「修行大師」のお 像は弘法大師一一五〇年御遠忌記念に當 山檀
信徒のみなさまにより建立奉納いただい
たものですし、そのお大師さまの御足下に納め ましたお四
国八十八カ所のお砂は、當山の総
代・故佐藤酉三氏がお四国霊場を巡拝され たものをご奉納
いただいたものであります。この
たび併せてお祀りすることが出来ました。
 弘法大師お四国八十八カ所霊場巡拝のご 功徳、ご加護を頂戴すべく、みなさまお参りくだ さい
ますように。當山としましても世界平和、萬
民豊楽、伽藍安穏、興隆仏法、檀信徒各位 家内安
全、子孫長久、父母師長・六親眷
属・現当二世安楽ないし法界平等利益をご 祈念申し上げた
く、ここに弘法大師石像八十
八体建立の趣意を申し述べさせていただきまし た。       
    







2006年02月26日


『光明真言曼荼羅』





  法圓寺『十三佛』・『光明真言曼荼羅』と
 その「裏書き」のこと       
                                     『十三佛』画と『光明真言曼
羅』は今から三百年ほど前(宝永正徳年
間)に庫裡新築した折り、仏法興隆・寺檀安 寧を祈願
して奉納された仏画曼荼羅でござい
ます。旧庫裡の反古の山に埋もれておりました が、光輝を放
つような何かを感じまして、無意
識に其の包みをほどいてみましたところ、二幅 の軸物がぼろの中
から出て参りました。開いて
みますと、なんとそれは、昭和二年の庫裡普 請の折りに修復して永久
保存を願ったご本尊
の曼荼羅でありました。「あっと」息をのむ程の 驚きと、危うくゴミとともに処分し
てしまうところで
ありましたので、かなり愕然といたしました。おも わず手がふるえるのをとめることができ
ませんで
した。三百年もの間、人の目に余りふれること なく、寺檀をおまもりくださっておられた曼荼
羅尊
でございます。かなり古いものとはいえ立派で見 事な曼荼羅尊ですから、本来ならば、とても
重な文化財になるものなのでしょう。
  近年を含め法圓寺は住職がいない時代 が何度かありました。そのたびに貴重な古書の 類や
記録などが消えてしまい、今日ではいくら
探してみましても寺にはほとんど遺っておりませ ん。その中
で重宝中の重宝であるこの曼荼羅
は、法圓寺にとりまして境内に残る町指定の文 化財『田植
塚』や俳諧誌『田植塚』(享保四
年)よりも、10年ほど古い(宝永正徳1700年 頃)ものですから、
希有の中の希有なる寺宝と
いえるでしょう。
  これはきっとご本尊や歴代の先師尊霊・ご 先祖の方々が、今回の庫裡客殿建立に際 し、再
発見されましたことは、後進の私どもを励
ましてくださっておられるように思います。
 
◎ 『光明真言曼陀羅』画一幅の「裏書 き」
   法圓寺先師十七世 今井乗賢大和 上 記す

私が明治二六年十一月 高野山より 此 の法圓寺に住職致しましたが 本堂の改
から 庫裡住宅の新築を思ひ立ち 昭
和弐年六月 工を起こし 普請を着手致 し 
その古舎旧屋を解除の際 棟柱煤塵
の中より 一の故紙塊を発見致しました  尊く
もそれは十三佛の画幅に 此の光
明真言曼陀羅の一軸でありました 外部 の表装は
 片々腐蝕すれども 内部は五
彩鮮明画色輝赫 毛も損裂を見ず 記録 の徴すべき
なき故 建築の年代不明なる
も 内外の事情を綜合するに 宝永正徳 の頃ならんか
 其の建築落成の当時 正
法興隆 除災与楽のために 此の二軸を 棟柱の中央に緊
縛勧請せられしものなら
ん 其の願主の崇高なる信念は実に尊む べきであります 
私は其の値遇因縁の深
重なるを歓喜し 表装修補を施し 記念 として 永く後代に
遺したいと思います
 当寺を継がるる後董の法師 此の意を 諒(あきらかに)し 
保管に注意せられ
んことを希望にたえません(希望してや みません)
時維 昭和八年十月二十三日 福島県伊 達郡桑折町朝日山 法圓寺 十七世二等
教大僧都 今井乗賢老年 七十四歳 
記之




2003年04月12日


『十三佛』




法圓寺『十三佛』・『光明真言曼荼羅』とその 「裏書き」のこと       
 『十三佛』画と『光明真言曼荼羅』は今から 三百年ほど前(宝永正徳年間)に庫裡新築 した
折り、仏法興隆・寺檀安寧を祈願して奉
納された仏画曼荼羅でございます。旧庫裡の 反古の山
に埋もれておりましたが、光輝を放つ
ような何かを感じまして、無意識に其の包みを ほどいてみまし
たところ、二幅の軸物がぼろの
中から出て参りました。開いてみますと、なんと それは、昭和二年
の庫裡普請の折りに修復し
て永久保存を願ったご本尊の曼荼羅でありま した。「あっと」息をのむ
程の驚きと、危うくゴミと
ともに処分してしまうところでありましたので、かな り愕然といたしました。おもわ
ず手がふるえるのを
とめることができませんでした。三百年もの間、 人の目に余りふれることなく、寺
檀をおまもりくだ
さっておられた曼荼羅尊でございます。かなり古 いものとはいえ立派で見事な曼荼
羅尊ですか
ら、本来ならば、とても貴重な文化財になるもの なのでしょう。
  近年を含め法圓寺は住職がいない時代が 何度かありました。そのたびに貴重な古書の類
記録などが消えてしまい、今日ではいくら探
してみましても寺にはほとんど遺っておりません。 その中
で重宝中の重宝であるこの曼荼羅は、
法圓寺にとりまして境内に残る町指定の文化 財『田植
塚』や俳諧誌『田植塚』(享保四年)
よりも、10年ほど古い(宝永正徳1700年頃)も のですから、
希有の中の希有なる寺宝といえる
でしょう。
  これはきっとご本尊や歴代の先師尊霊・ご 先祖の方々が、今回の庫裡客殿建立に際し 励ま
してくださっているのでございましょう。お寺の
事業は個人一代限りの事業ではないことを痛 感いたし
ます。



◎ 『十三佛』画一幅の「裏書き」
(法圓寺十七世・先師乗賢大和尚記)
           
「 予 明治26年11月高野山より来たり 当 法圓寺の住職す 庫裡改築の已むなきに迫り  昭
和二年六月工を起こす 旧屋解除の際 
棟下煤塵中より鼠窩(ねずみのす)に似たる故 紙塊を発
見す 能く此を査するに十三佛尊と
光明曼荼羅の二軸なり 外部の表装は腐蝕 片々なれども 
内部の尊影は五彩鮮明 画色
輝々威容厳装として光を放ち玉ふ 記録の徴す べきなければ 旧
庫裡の建築年代は不明なりと
いへども 彼れ此れ内外の事情を綜合するに  宝永正徳の頃(西暦
1700~1710年)ならんか 
其の落成の当時 正法興隆 除災与楽 の 加護を与はんがために 此
の二軸を棟木の緊
縛をかれしものならん 嗚呼 其の願主の崇高な る信念は実に尊むべきなり 二
百余年の歳月を
経て今日まで尊影の厳存したもうは尊き限りという べし事 値遇因縁の深きを歓喜し 
仮に表装修
補を施し 当寺の什宝として永く後代に伝へんと す 当寺を継がるる法師 能くこの事
由を認識
し 保管に注意あらん事を希望**するなり(希 望してやみません。)
 時維昭和五年一月十九日 朝日山 法 圓寺 十七世 今井乗賢 老年記之」 


  今井乗賢大和尚は明治26年から昭和1 6年にご遷化なされるまで約50年近く法圓寺 の住
職をつとめられました。「過去帳」などお寺
に残された数少ない資料をみましても、大和尚 は法圓
寺再興に並々ならない功徳力を尽くさ
れた和尚で、不出生の名住職であったことが うかがえま
す。






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