真言宗豊山派



朝日山 萬歳楽院 法圓寺



2006年02月26日


子供達の元気な声をがにぎやかである




 最近、法圓寺の境内がにぎやかになってきて いる。
今年に入って急にそうなってきている。子供達の 元気な声をがにぎやかであることは嬉しいもので
る。小さな子供達を連れた母親達のたまり場に
もなっているし、小学生はもちろん中学生達のた まり
場にもなっている。昔とは違い世代ごとに時
間帯がずれるが、よく集まって楽しそうに団らんし ている
光景は、何ともいえずほほえましくなる。

 秋葉三尺坊の境内を一部を、子供の遊び場 として、解放して久しい。町内会からの要請を受
けてということであった。遊び場には、町で用意し た砂場やブランコ、滑り台、鉄棒、うんてい、など
がある。このような遊び場は、町に三十箇所ほど 作ったが、利用度と管理の問題で、社会福祉
協議会が「そんなに金をかけられない。利用者 である町内会で管理しなさい。」ということになっ
て、誰が管理するかいつも金銭のかかることゆ え、互いにたらい回ししながら、しかし、何とか今
まで持ちこたえてきた。法圓寺の遊び場は比
較的利用度が高いという申し入れが小学校の 校長
先生からあったりで、町内会と町とで遊び
場を確保することになり、毎月一回町内周り番で 遊び
場を掃除していてくれる。以前は、遊び場も
草がぼうぼうであれていたが、今はすっかり、いつ もきれ
いになっている。見えないところで、近所の
人たちが奉仕作業をしてくれているのだ。
 秋葉山の境内には昔から蓮池という心池があ るが、近年は水路の水があまり流れ込まないし、
生活排水が流れ込み、すっかりドブ化して、い わゆる、寺の池らしくないが、とにかく、ザリガニが
繁殖し、ここ数十年、ザリガニ採りの子供達でい つもにぎやかである。この傾向は二.三世代に
っている。ザリガニがいれば蓮の花は咲かな
いし、池をきれいにして、錦鯉でもいるようにする と、子
供達の遊び場にはならない。最近も、誰か
が、水芭蕉の花を咲かせられるかもしれないとこ の池の
畔に苗を植えてみたが、結局、子供達に
踏みにじられてしまい、かなりショックであったよう だ。かと
いって、この池をドブのままにしていれば、
その背景に環境汚染の問題が潜む。自然の良 い環境
を確保するには周りの環境に依存してい
るだけに、境内内だけではどうしようもない。
かえって、小さな池を保存する方がやりやすいの かもしれない。
 享保年間のこの寺の伽藍に比べれば(境内の 図が句集『田植塚』に残っている)、この寺には
山門はないし、周囲を結界する塀もなく、一部フ ェンスはあるものの、隙間だらけの寺で、何とか
戸時代の頃のような状態になったらいいのにな
ーと、小さい頃から感じていたが、これも最近、 ある
おばあさんの「このお寺はどこからも入ることが
できて、ほんとにいいですねー。こういうお寺は他 にな
いですよ。いつも通らしてもらう度に、そう感じ
ているのです。」という一言で吹き飛んでしまっ た。なる
ほど、誰でもが佛の温もりに触れられる寺
が大事なのかもしれない。
 門を作り塀を回すより、本尊大日如来の懐に 遊ぶ温もりを大事にしなければと感ずる次第であ
る。




2007年02月26日


読経録音盤:『檀信徒のおつとめ』法圓寺・歓喜寺



読経録音盤:『檀信徒のおつとめ』法圓寺・歓喜寺

https://drive.google.com/open?id=
1Rr7k33VMylRlpwBDn8T7cWJ9CfgKi7HA  ←読経録音盤です。これを聞きながら下の経
典を                           をご覧ください。














































2006年02月26日


弘法大師(こうぼうだいし)御略歴




弘法大師(こうぼうだいし)御略歴

『空海(くうかい)』(七七四〜八五三)
 
 真言宗(しんごんしゅう)の開祖。
 密号(みつごう)(灌頂(かんじょう)を受けたときに授けられた名前)を遍
金剛(へんじょうこんごう)と号せらる。


讃岐(さぬき)(香川県)の人。姓は佐伯(さえき)氏。幼名は真魚(まお)と伝
る。


十五歳のときに都に遊学され、のち山野に七年、久修練行(くしゅうれんぎょ
う)された。(謎の七年間)。
飛鳥(あすか)(奈良県)の久米寺(くめてら)で『大日経(だいにちきょう)』
感得されたが解せず、延暦(えんりゃく)二十三年(八〇四)入唐(にっと
う)さ
れ、長安(ちょうあん)青竜寺(しょうりゅうじ)の恵果阿闍梨(けいかあ
じゃり)
より密教(みっきょう)の奥旨(おうし)を受けられ、大同(だいどう)元
年(八〇
六)帰朝される。

 密教弘通(ぐずう)の勅許(ちょっきょ)を得られて、諸国を巡錫(じゅんしゃ
く)される。

 弘仁(こうにん)三年(八一二)京都の高雄山寺(たかおさんじ)で最澄(さい
ょう)をはじめ多くの僧に秘密灌頂(ひみつかんじょう)をお授けになる。

弘仁(こうにん)七年(八一六)高野山(こうやさん)を下資(かし)され、金剛
寺(こんごうぶじ)を開創された。


『三教指帰(さんごうしいき)』『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』『秘蔵
鑰(ひぞうほうやく)』『即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)』『般若心経
秘鍵
(はんにゃしんぎょうひけん)』等の御著作が多く、また書(三筆の一
人)や詩
文にも長じられ、文化輸入、定着に大功労を尽くされた。


 承和(しょうわ)二年(八三五)高野山で御入定(ごにゅうじょう)。

 延喜(えんぎ)二十一年(九二一)弘法大師(こうぼうだいし)と勅諡(ちょく
し)される。





2005年03月29日


襖絵『法の深山』 


   


【法圓寺に奉納された六枚の襖絵】吉田日貢
 本堂の北側涅槃の間

 『法の深山』

法の深山のさくらばな

昔のままに匂うなり  

道の枝折りの跡とめて

さとりの高嶺の春を見よ

  一つの繪
 もうこんな処には人も住まないだろうと思うほどだ いぶ山奥深く分け入った。突然、視界が開け、
その山間の湖畔が目に入った。山また山が続く その谷間からはいくつかの滝がと渓流の流れが
こで合流しているのが一望できた。湖畔の向こ
の丘の一角にはいくつかの民家がひっそり身を 寄せ
合うようにしてあった。さらに湖畔の右奥の
方には石畳が山奥に続きそこを辿ると、山の中 腹当たり
に五重塔があり、さらに堂々とした立派
な本堂が見えた。全てがスッポリと山々の気に 溶け込んで
いる。

 ちょうど私の傍に大きな山桜の木があって、見 事に満開であった。その木の傍に腰を下ろし桜
花を楽しみながら、思いがけず出会った仙境
の春の眺望にしばし時を忘れていた。あちこちで
が鳴き、時折峪わたる声が深くこだまし、微風
がわたるたびに花びらが舞う。実に長閑である。
肌が覗く山々には赤松が茂り美しく緑なし、遠
く谷間の雲のように山桜があちこちに咲いてた。
畔の色は何ともいえぬ美しく優しい青をしてい
た。あちらこちらから清流が流れ込みその水しぶ きは
白く輝き飛び跳ねていた。ずっと眺めているう
ちに、湖畔の左奥のほとりで蟻ほどに小さかった が、
確かに人がたった独り、釣り糸を垂れて楽し
んでいる姿に目がとまった。
 その途端、全山に一体に「いのち」の息吹が 圧倒する力で漲った。天地自然の全てがドンと そこ
に一塊となって存在した。それはどこまでも広
く、どこまでも閑かで、しかも「いのち」の本流で漲 って
いた。そこに、人がいなければ気づかなかっ
た。そこに彼が座っていなければただの風景でし かな
かった。

 いつの間にか、私は彼の傍らに座って湖畔を 眺めていた。しばし、無言ながら会話を楽しん だ。
 この風景を描き出していたのは彼であった。彼 は九十を遙かに超えた老人であった。大正時代
に京都絵画美術専門学校を卒業し、長いこと ある宮家の日本画の御前教師勤めていた。明
治・大正・昭和・平成の世界的な大転換機の 激動の中を駆け抜けた人ではあったが、その境
は仙境に棲む仙人のごとき人生で、その人柄
を慕う人は絶えることはなかった。
決して奢ることなく、名声をきらい、真実の人とし て隠遁し、あう人ごとに天地自然の理を示し続
け、苦しみ悩む者の縁となり道しるべとなってい た。しかし、彼が実際に住んでいたのは、市街
のど真ん中、すなわち市井にあって常に人々
とともにあったのである。彼には家族はいたが、 小さ
な一軒家に独り住まいであった。つい先日、
この世を去った。程なくして、彼の住まいはマンシ ョンを
建てるため取り壊されることとなり、彼の全て
の遺品も含め二束三文で処分されることになっ た。た
またま知らずに現場を通りがかった彼を慕
う方が、この古老が六枚の唐ベニヤの襖に描い た大傑
作がまさに無造作にはずされ、ゴミと一緒
に打ち捨てられていたのを発見、涙ながらに遺 族に懇
願し、もらい受け、供養とのため寺に奉
納してきたのである。
 幸いなるかな!ここに無名の襖絵が残された。 「独り生きること」の真の境涯を一枚の絵に顕した
見事さは、見る者をしてして感動させて止まない。 無名に徹したが故のすごさであった。釈尊の教え
が人類にもたらされたことに匹敵する大作であ る。この無名の絵を天がこの世に残れたことに感
したい。

                 龍雲 好久


御檀家さまへ
 謹啓
 ようやく境内の梅の古木の花がちらほらと咲き 始め、春彼岸の季節を迎えました。
 重たい雪が多い年でしたが
 みなさまいかがお過ごしでございましょうか。
 今年はうれしいことに、境内に
「八重桜」と「白木蓮」、それに姿のよい「しだれ 桜」の木を篤信の方によって植えていただきまし
て、ことのほか花を楽しむことができそうです。
 さらに、本堂内には満開の桜が描かれた『法 の深山』の日本画の襖絵が六枚奉納頂きまし
た。
 『一つの繪』に書いてあるとおりのいきさつでこれ も篤信の方によってご寄進頂き、襖戸としてはめ
て頂き、常設しております。画家は匿名希望で す。大正期に京都絵画美術専門学校を卒業 なさ
れ、宮家の御前教師を勤められた方ですか
ら、その最良は推して知るべしです。昭和初期に
勲を受けられていましたが、名声を嫌い、市
井に隠遁されたまま生涯を送られた方ですが、 慕わ
れた訪れる方は多かったと聞きます。この絵
はご本人がもっとも大事にしておられたものです。 孤高
の境涯を示す画風がごく自然に醸し出され
ている最高傑作で、唐招提寺のや総本山長谷 寺の
襖絵に引けをとらないと思います。何よりの
ご供養をちょうだいすることができ、深く感謝してお りま
す。

 お寺にお参りの節はどうぞお気軽にお楽しみくだ さい。
 合掌
  平成一七年三月一七日

 





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