真言宗豊山派



人類の意識の変容をうながす『萬歳楽山』のヒビキ



萬歳楽山のこと
(以下は、龍雲好久が萬歳楽山に誘われた初期のころの記事です)



萬歳楽山のこと

 この法圓寺のちょうど戌亥(北西)の方角に萬歳楽山という 不可思議な山がございます。ちょう
ど桑折の半田山の陰になり
ますが標高898.3{ヤクヤミ(厄止み)}メートルで、半田山より 高い山で
す。福島県と宮城県の県境にある山でして、頂上は潅木が生い茂り、道はありませんので藪の中を
掻き分けて入ります。
 ところどころに松やもみの木が自生しております。もみの
木は風にも微動だにせずまっすぐ高く
伸びておりますが、松などほかの樹木は、みな地面に這いつくばうようにしていますので、山の頂は
かなりの強風を思わせます。
 登山用の衛生通信のナビゲーターで見ますと、山の一番高いところは900メーターを遥かに越えています。
しかし、頂上にあがりましても灌木樹林に覆われ、われわれは高い木に登ってみないと、一望を見渡すことが
できません。
 その眺望は見事なものです。東には霊山、南には安達太良・
妻連峰、西には朝日連峰、北には蔵王連峰が
一望できます。
 雲海
に浮かぶ萬歳楽山はちょうど海に浮かぶ島の様です。萬歳楽山に立ちますと大きな宇宙母艦に乗って
海を渡っているような錯覚にすら陥ります。

 山の鉱物や貴石を研究調査しているというある方が、萬歳楽山全体は地下のマグマが固まってできた岩山で
あると話しておりました。
 この山のすぐ南東の半田山は江戸時代有数の銀山で、採掘や地震
などで半分に崩れてしまいましたが、
萬歳楽山も同じような鉱山です。奥州藤原時代にはこのあたりを支配していた佐藤一族が平泉の藤原氏一族を
支援するために、この辺りの鉱物資源を牛車に積んで運ばせており、萬歳楽山は宝の山であったようです。

 萬歳楽山に登ってみますと、全体が岩山ですから鉱物資源は豊富ですが、頂上には
土が少なく潅木ばかりが
生い茂り、山菜や果物は少なく感じます。ですから、熊や猿、カモシカも麓近くに降りてくるらしく、山頂では
かれらに会うことはめったにありませんが、ほとんど人が入らない山ですから、彼らにとっては、萬歳楽山は
安全なねぐらでもあったのでしょう。ですから、先住者にはじゅうぶん敬意を払って、決して脅かすことのないよう
注意しないと行けないと思っています。


 以前、萬歳楽山に入山すようと試みていたときでしたが、そもそもこの山が霊山であるなと感じたきっかけでしたが、
山そのものが強大な霊力で守られており、「心身を清浄にしてからでないと、入山してはいけない。」と、
萬歳楽山そのものから、入山の仕方を手ほどきされたことがございました。
 知らず知らずの間、私は萬歳楽山を護っている龍神に調べられていたようです。準備が整い受け入れていただくまで
時間がかかりました。本来、人がめったに立ち入ってはならない神聖なる霊山なのでしょう。
 とはいえ、どうってことなく山菜採りやバイクでいとも簡単に入山している人も結構いるようですので
また次元の異なる問題ないでしょう。小生と山との感応道交のひとつのありようだったのです。




 そもそも、
 萬歳楽山はヤクヤミの山、地震や災害除けの山として東北全土はもちろん広く関東・東海地方までも
「まんぜろく・まんぜろく」の
呪文とともに広く信仰されてきた山でであったようです。

 不思議に思い
「萬歳楽山」という名のついた山を調べて見ますと、この名のついた山は日本にひとつしかなく、明らかに、
この山ことでした。

 「萬歳楽」とは雅楽における舞楽の曲名で、中国の皇帝や日本の天皇の即位時に奏楽されるおめでたい曲で、
世界平和・萬民豊楽を神に祈願するする舞で「世界の人々が集い、和を貴び、安心、安寧をもたらす饗応の舞」
であります。 


 茂庭の蓮華滝の萬歳楽山の鎮守堂には「この萬歳楽山は弘法大師空海によって開かれた霊山慈覚大師円仁に
よって、篤く信仰された霊山である。」と記述されております。


 それにしましても、
 最近、小職にはこの萬歳楽山がどのような山であるかが次第に明らかになりつつあるという不思議な導きを得て
おります。これから、その一端を少しずつ思いのままに記させていただきます。




 萬歳楽山を通して出現している本地佛は阿弥陀三尊すなわち 阿弥陀仏・観世音菩薩・勢至菩薩で
あります。阿弥陀仏(アミ
ターバ)は秘教により「アミー、アモン、アメン」という古代 エジプト
や古代ギリシャで信仰された太陽神が釈尊によって示された西方極楽淨土の化主「阿弥陀如来を顕し
ます。脇時の
観世音菩薩といいましても萬歳楽山で霊的に顕現する脇時は平面や立体で見る平板な
脇時の配置ではなく、霊性の奥の奥というように私どもが見る限り、どこまでも真っ直ぐに、しかも
どこを向いても、いつも、真っ直ぐ正面奥にヒエラルキー的に超えて
すべて包み込むんでいるよ
うに見え、いつの間にか一切が無量
光の中に溶け込んでしまうのです。

 今の私に萬歳楽山のすべてが明らかにされているわけではありませんが、はじめ、鹿・白鳥・青龍・
九頭龍をともなった大弁財天女の出現でした。

 これは、そもそも小職が萬歳楽山に気づく以前、千葉県柏市の布施弁天に奉職しておりました折に、
弁才天自らが導いて萬歳楽山へ向かわせてくれたことによります。

 しかも、驚くことは、布施弁天は布施におわしますが、萬歳楽 山の弁才天は地球規模の強大なエネ
ルギーを有する地母神で、
このことを裏付けるかのように、法圓寺に江戸時代初期の秘仏 とみられる
「九頭龍八臂弁才天」までもがこのときに顕れ勧請できたことです。

 この尊象は布施弁天のものとは全く関係ないものですが、その当時の布施弁天のご住職牛田老師この
辯才天御影をお見せしたところ、仰天して、「この秘仏は布施弁天と同じだ。彩色はもっときれいで
あるなあ」と語られておりました。
 実は昭和60年小生の母が病床に就き、急遽、布施弁天での務めを辞退する決意をして以来、布施の辯
才天直接関わる現象が折りに伏して起きておりましてし、紅龍辯才天が倶にあることを実感させられて
いたのです。本尊そのものが倶にいて擁護してくださっているとしかいいようのない不可思議なる導きが
いまも続いているのです。

 更に小生の元(法圓寺)で、不可思議なことが続出し、十一面観音、聖観世音菩薩、十一面千手観音と
馬頭観音、慈母観音と観世音菩薩が次から次とまるで佛や菩薩や天部の諸尊が自らお出ましになられるか
のように集中的に勧請され続けたのでございます。
 ことに、奈良時代前期の秘仏「七面三十六臂千手観音」は萬歳楽山が何を顕現させようとしているかを
教える究極の秘仏のように思えました。

 これで、確かに、古来より弘法大師や慈覚大師が萬歳楽山で目の当たりにされた阿弥陀三尊のビジョンが
小職にも明らかになってきていることなのだと思わざるを得なくなりました。

 「七面三十六臂千手観音」が、かつて(昭和51年4月)、霊的な恩師によって直接明かされた「古代ギリ
シャのアポロン(後の観世音菩薩アバロキテイシュバラー)が古代エジプトのアミー(後の阿弥陀仏アミターバ)
の神託を受けて、東方のインドの地に仏陀が出現するにそなえ、三十六人の弟子らに命じ、アミーの真理を
インド傳にえた」という光景を小生自身がその場で感受しており、その途方もない秘事をまさしく暗示して
いるものだったのです。

 その霊験がいまここ、萬歳楽山において現れつつあるように思えるのです。


 阿弥陀如来は無量壽如来とも無量光如来ともいいますが、萬歳楽山の「萬歳楽」は「無量壽」と
同義であり「本不生」であることも不可思議
なりません。





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