真言宗豊山派






人類の意識の変容をうながす『萬歳楽山』のヒビキ





萬歳楽山は「理趣経の根本義に示される普賢金剛サッタの立体曼荼羅そのものである」令和元年になって
萬歳楽山に響く本不生( Adi-buddha )曼荼羅


萬歳楽山に耀く本不生( Adi-buddha )曼荼羅

一、萬歳楽山が指し示すもの
  1、本初佛(
Adi-buddha )本不生
  2、須弥山
  3、初会金剛頂経
  4、普賢金剛薩タ(般若理趣経)
  5、佛跡ボロブドール立体曼荼羅
  6、金胎互換重合



二、佛跡ボロブドールの示すもの

1、この宇宙の根源にして、個々の生命の基本たる、無始無終の普門本體の普賢
金剛薩?をば、普賢
金剛とも、普賢法身ともと云ふ。

2、第六會の金剛頂經たる廣本の般若理趣經などでは、これを最上根本佛と云
ひ、文殊説名義經な
どでは本初佛(
Adi-buddha )と称している。

3、この本初佛(
Adi-buddha )たる普賢金剛サッタの性海より、大日、阿シュク、 寶生、彌陀、不空成
就の五佛を始め、種々様々の色身を示現し、種々様々の説法
をなし、種々様々の意慧を啓示する妙
用である立體曼荼羅である。

4、萬歳楽山はこのこの本初佛(
Adi-buddha )と互換重合している。

5、この大乗仏教徒によって築かれた普賢金剛サッタの立体曼荼羅が、具体的に
建立されたものが
佛跡ボロブドールの制底・塔婆・曼荼羅であり、いわば、レプ
リカである。

6、しかし、一見、何の変哲も無い萬歳楽山は、この山そのものが普賢金剛サッ
タの立体曼荼羅の
ヒビキを次元を超えて響かせている立体曼荼羅が顕現してい
る。人造でない、即ち、大宇宙・大自
然・地球自身が顕現した築きあげた不可思
議なる曼荼羅山であり、背後に須弥山が響く。

7、佛跡ボロブドールには、大日如来・金剛サッタ・龍猛菩薩・龍智菩薩・金剛
智三蔵・不空三蔵
の付法の系譜が活きている。
 佛跡ボロブドールが建立されたであろうとされる時期のジャワで、師の金剛智
三蔵と弟子の不空
三蔵との邂逅がなされている。

8、大乗仏教徒によって築かれた普賢金剛薩タの立体曼荼羅であり、深遠な大宇
宙の根源にして、
個々の生命の基本たる、無始無終の普門本體の普賢金剛サッタ
を示そうと築かれた立体曼荼羅であ
る。

9、 しかし、曼荼羅は、そこにえがかれているものにあるだけではなく、その
奥に示されているも
のを感受しなければ、活かされない。
 いや、その曼荼羅内に入る者は、誰でもが、その真實義のヒビキを享受し、如
来の導きを感受で
きるものとして、築かれているものである。
 この理趣経の根本義における普賢金剛サッタの立体曼荼羅であり、大地所生の
萬歳楽山の本初佛
曼荼羅である。

10、佛跡ボロブドールが永いこと密林に埋もれ、異宗教による破壊を免れえた
奇蹟は、むしろ、
その真實義のヒビキなるが故の奇蹟であるかもしれない。
 そして、イマまさに、本初佛(
Adi-buddha )として、須弥山と佛跡ボロブドール と萬歳楽山(この山
に限らない)と互換重合する相似象していると思われる。

11、しかし、萬歳楽山頂に、実際に、このような人造の遺跡が築かれているの
ではない。
 
12、では何故、このような見解をいだくに到ったか。

 それは、以下の黙想による。
 この黙想は、決して特別な瞑想をしていたというわけではない。
 ごく日常のありふれた中で、突然、与えられる予期しない黙想におけるビジョ
ンである。故に、
そのビジョンの指し示すことの本当の意味は、正直、把握しか
ねるところが大きいのが実情であ
る。

13、 ある方の枕経を供養をしているときであった。黙想しながら経文をあげ
ていると、突然、
視界が開け、亡くなった方が、森林のなかに築かれた巨大な石
の階段を登っている姿が見えた。ど
こまでも果てしなく続くかの石畳の階段を、
一歩、一歩、独り、ゆっくり登っている。
 ふと、途中で、広場にでて、彼は立ち止まった。そこには伽藍に巡らされてい
る回廊があった。
回廊に沿った壁面には、不思議なことに、その方の歩んできた
一生が映し出されているようであ
る。彼は、それに、誘われ、右回りに歩き出し
た。その廻廊を巡りながら自分自身をふり返ってい
るようであった。しかし、後
ろから様子を窺っている私には、その後ろ姿しかわからない。

 やがて、廻廊が伽藍を一巡したところで、彼は、別のステップに進んだ。

 後を追いながら、ふと、ここはどこなのだろうかと、全体を遠望してみると、
どうやら山全体が
伽藍であり、見えざる三角四面体のエネルギーが正反重合する
中に、この伽藍も、彼も包含されて
いるようであった。

 そのとき、(ああ、ここは萬歳楽山の霊妙なる伽藍で、自浄の道を踏みなが
ら、霊性の浄化を促
されているのに違いない)と思った。

 というのも、以前にも、萬歳楽山頂でしばしば体験するものであった。
 確かに、その場で展開しているエネルギーは、あの、自転公転する聖三角四面
体の正反重合する
エネルギーであり、そのエネルギーによってこの伽藍はヒエラ
ルキー的に曼荼羅が投影されている
ようであった。幾層にも張り巡らされた廻廊
は、いわゆる次元上昇下降の渦状の順逆の巡り性でも
あった。

 そのようなことを思いながら、顕れるままに、この日亡くなられた方の後を追
っていると、ある
層(段階らしい)の廻廊の壁面の前でところで、急に、ピタリ
と彼の歩みが止まった。
 彼がその壁面の真正面にたった瞬間、壁面が開き、彼はスーッとその中に吸い
込まれていった。
私はそれ以上追うことはしなかった。
 その方は一瞬にして消えたのだが、後ろから窺っていた私には彼が吸い込まれ
ていったその門の
奥を僅かだが垣間見ることができた。

 彼の行く先に開かれていた世界は、この世と似ている、もう一つの世界であっ
た。大自然界がそ
のまま開かれている世界であった。おそらく、この方の後生の
世界なのだろう。
 
 その世界は、本人のみに許された、仏での慈悲に充たされた世界であり、明る
い世界であった
が、余人の介入を許さぬ峻厳なる光景でもあった。

 この間、枕経は20分ほどであったが、これらのビジョンが与えられたのは、
ほんの一瞬のこと
であった。

 以上は、小生、一瞬の不思議なビジョンを、言葉で表現したものなので、実像
ではなく、むし
ろ、想いでしかない。それにしても、不思議な光景であった。枕
経を終えて、自坊に戻り、どこと
なく気になっていた。
 この日、調べたいことがあって、書斎に置いてあった栂尾祥雲全集『理趣経の
研究』に目を通し
たのだが、驚いたことに、その研究書に、何と、先ほど見たビ
ジョン(幻想と思っていたが)とあ
まりにも酷似している構造の立体曼荼羅図が
掲載されていたのである。よく見てみると、「ボロブ
ドールの立体図」という説
明が付されていた。
 ボロブドールのことは知らない。そこで、じっくりと読んでみようと見てみる
と、手前味噌では
あるが、この『理趣経の研究』には、不肖、小生が萬歳楽山か
ら得ていたいろいろなビジョンの本
質について解かれていたのである。(このよ
うなことを記すと、貴い大学者や研究者に対しては、
甚だ失礼なことになるのだ
が・・・)

 即ち、奇しくも、小生が辿っていた萬歳楽山おけるに「不生禅」と「般若理趣
経」の真實義が解
説されていた。
  1、本初佛(
Adi-buddha )本不生
  2、須弥山
  3、初会金剛頂経
  4、普賢金剛薩?(般若理趣経)
  5、佛跡ボロブドール立体曼荼羅
  6、金胎互換重合両部不二の曼荼羅。
  7、マカバの本質

 これらのことが、一貫して次のことに集約されることが示されていた。

 即ち、

 ●宇宙の根源にして、個々の生命の基本たる、無始無終の普門本體の普賢金剛
サッタ。

 ●第六會の金剛頂經たる廣本の般若理趣經などでは、これを最上根本佛と云
ひ、文殊説名義經な
どでは本初佛(
Adi-buddha )と称している。

 ●この本初佛(Adi-buddha)たる普賢金剛サッタの性海より、大日、阿シュ
ク、寶生、彌陀、不
空成就の五佛を始め、種々様々の色身を示現し、種々様々の
説法をなし、種々様々の意慧を啓示す
る妙用である。

 このことから、萬歳楽山がこの現象界の地球上出現している潜象界の阿字本不
生( Adi-buddha )曼荼
羅であり、須弥山と互換重合する相似象の霊峰であること
に、あらためて気づかされたのである。

 まさに、萬歳楽山は「理趣経の根本義によりて出現している普賢金剛サッタの
立体曼荼羅そのも
のである」。
 





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