真言宗豊山派






法座テキストW





このページのはじめに
 弘法大師空海の御著『声字実相義』の中で
「法身とは諸法本不生の義、すなわちこれ実相の義なり。
 五大にみな響あり 十界に言語を具す。
 六塵ことごとく文字なり、法身はこれ実相なり。」
とお述べになられておられます。



 このページに記載させていただきましたことは、小生の身近な自然界(人々との遭遇も含めて)
を通して示される不可思議な現象との遭遇を記しております。
 しかし、色々と不可解なことに遭遇いたしたとしましても、それをどのように受け止め、どのよ
うに理解するかについては、やはり、小生自身の受けとめ方にかかりますので、それを言葉にして
お伝えしようとしましても、どうしても、限界がございまして、小生の愚鈍性を免れ得ませんか
ら、ここに記すこと自体が欺瞞に陥りやすく、いささか忸怩たる思いがないわけではございませ
ん。
 ただ、それでも、目の前に示されることですので、何か、やはり、訴えかけるものがあるのでは
ないか。そのメッセージ性については、どんな些細な自然現象であれ、それは、如来様がこうした
自然界を通して、私共に、何かをお示しくださっているのではないかという一心、自身の迷妄と愚
劣さをを顧みず、考えてまいりました。これまで人生の様々な方々との邂逅により導いていただい
たことに、できるだけ素直に受けとめて、自分の感ずるままに、自由に表現させていただきまし
た。
 ですから、これは、あくまで一個人の見解によりまして表現してみたものでございます。
 不可思議に思えるものを表現しようとしておりますが、いわば、個人が見た景色をを、一つのカ
ンバスに表現しようと描くのですが、全く、がさつで、見るに値しないものでしょう。しかし、何
かそれを導いているものの響があるように思えてなりません。どうか、読者におかれましては、そ
のようなところをお汲み取りいただければありがたく存じます。
                         合掌
                        龍雲好久

人は死なない(本初不生)
 平成25年2月10日。この日は陰暦の正月であったが、早朝、再び、あの、不思議な氷の聖
体出現があった。今度は、これまでのツクバイではなく、妹の墓の水鉢の中からであった。
 
 妹は、ほとんどの生涯を病弱な母の世話とこの寺の世話に明け暮れていたのだが費やしてい
た。縁があって、結婚し、一子を授かり、幸せな生活を送っていた。
だが、癌を患って、最愛の家族を残し、四九歳で他界してしまった。
 我々は兄と妹のふたり兄妹であったが、母が病弱であったため、妹はむしろ姉のように、小生
の面倒を見てくれていたのである。妹は本来は世話好きな人間であった。しかし、幼い頃から、こ
の兄妹は、母が病弱であり、寺という暗い環境にいることで、周囲からは、かなり露骨に忌み嫌
われることもあり、内に篭りがちであった。他人に恐怖があった。とり、無理もない、家の中では、
四六時中、母親の苦悩の声が響いていたし、陰鬱でゴミだらけの汚い家で暮らしていた。それ
でも、この二人はとても仲良しで、いつも、嫌なことは忘れて、笑いおどける明るく二人で、よく話
に興じ、楽しむ天真爛漫なものであった。
 その妹が他界する際ではあったが、まだ元気なうちから、今から思えば、妹の死を暗示するか
のような不思議な現象が私に周りに頻繁に起こっていたのである。思い当たることはたくさんある
が、例えば、遠く離れている妹の病気の症状(その時、妹は心配かけたくないと兄に隠していた
のだが)が、当の兄である私に不明の痛み起きていて、妹の病と同じような症状が起きていたの
である。あるいは、いかにも妹に伝えなければならないかのようにチベットの死者の書など、死後の
世界に関する資料が、望みもしないのに、私の周りに集中的に、人によって持ち込まれていた。
あるいは、突然、妹にそっくりな仏像などがこの寺に持ち込まれたりして、これが不思議にも妹の
病気の治癒過程とピッタリとリンクしていた。なにしろ、そういうときは妹から知らせが入るので、リン
クしていると感じざるを得なかった。はたまた、妹の療養のために良いかもしれないという空き家が
突然寄付されたりと、なかでも、最も驚いたことは、実は、この寺で今から100年以上も前の住職
の奥さんの長い間忘れ去られていたお墓が偶然見つかったのだが、そのボロボロに崩れた、誰
ともわからぬ墓石にかろうじて文字が残っていて、そこに夕日があたって命日12月5日の文字が
浮かび上がって、それが、妹が他界する日を暗示していたのである。このように、あの世に関わる
不思議なことばかりが起きていた。
12月5日、家族の知らせを受けて、駆けつけて、なんとか妹の臨終には間に合ったが、すでに言
葉をかわすことは無理であった。妹を呼び戻そうとあたり構わず大声で妹を呼びもしたが。無理で
あった。しばらくして、医師が駆けつけてきて、「ああ兄さんが来てくれたからかあ」と、なにか一人
で納得していたようすだったが、検測機に反応が大きく現れていたらしく、その変化を見た医師こ
れはどうしたことかと病室の駆け込んだのだそうだ。
 自宅に戻った妹の遺体を前にし、一晩中、経文をあげていると、如来や菩薩のような光明が
隣在しているように感じて、私は人払いをして、妹のたましいに向かって、ブッダの親説を唱え続
けた(内なる言葉で)。すると、木から枯れた葉がポトリと落ちるかのように、妹の遺体に明らかな
変化が生じて、肉体は完全に物質化(生気のないものと化)した。魂と肉体を繋ぐ糸のようなもの
が切れてが切れて、魂が完全に肉体から離脱した感じた。このような実感は、死者供養に従事
する私には極めて重要な出来事であった。しかし、これも妹ならではのことであったのだろう。
 翌日、急いで田舎に戻り、法衣等葬儀に必要な支度をして、再び、妹の家に向かうときであっ
た。いつもの田舎の駅のホームで、ぼんやりと、上り電車を待っていると、不思議な感覚があっ
た。明らかに私ではないものが、私の目を通して田舎の景色を懐かしんでいるのであった。誰か
が、この私の体を通して、この景色を今見ている風であった。それは妹であることが、すぐに理解
できたが、妹の自己感覚と私の自己感覚は「自己感覚(わたし)」という点で一緒ではあった
が、全く異なった、従来の私にはない自己感覚で、ものを見ているのであった。
 あれから10年。妹は今でも、この寺の何処かにいて私の手伝いをしてくれてい気配を感ずる。し
かし、正直言って、死ぬのが早すぎて、私の心には「なんでさっさと死んでしまったのか!」怒りの
ようなもの、悔しさのようなものが残るのであった。嗚呼、妹の魂があの世でちゃんと生きているな
ら、この世の私に証拠を示してほしいと、あらぬことを、あの大光山正徳寺本尊阿弥陀如来に
密かに祈っていた自分があった。すると、どうだろう。そう願った翌日!2月10日、この日は陰暦
の正月であったが、なんと!その日の早朝、再び、あの、不思議な「氷の聖体出現」が起きたの
である。しかも、今度は、これまでのツクバイではなく、まさしく、妹の墓の石の水鉢であった。自然
現象なら他にも出ているはずだと、この寺の墓地とほかの2ケ寺の墓地をくまなく、何度も見まわっ
た。だが、そういうものは他には皆無であった。氷が上に伸びてきているものはどこにもなかった。
 もはや、これは、あの世に私はちゃんと生きているよと言わんばかりに、妹が必死に如来様のお
力をお借りして、けなげにも「人は死なない」ということを兄に証明してあげようと現してくれたとしか
思いようがなかった。しかも、この聖体出現は、妹という個我の領域をはるかに超えて、如来様
からのメッセージでもあった。
 というのも、この聖像は不死鳥がまさに今飛び立とうとしている姿なのである。しかも、回転する
聖十字から飛び立とうとしている。
その飛び立つ方角は、ここから見ると北西の方角、地球儀で見ると、カナダとアラスカの上空を
指し示している。一体、これはどのようなメッセージが込められているのか不思議でならなかった。
また巨大地震が起きるのだろうか。
 いつにもまして聖なる本不生の祈りを意識せざるを得なかった。
そんな矢先、2月16日。ロシアウラル地方に隕石が落下し、衝撃波とともに大きな被害を及ぼ
した。科学者によると、隕石はカナダとアラスカの上空から大気圏に突入、その角度によって、
消滅せずウラル地方まで落ちていったという。その隕石が落ちる姿を暗示しているか?
 それにしても、巨大地震・巨大隕石の衝突、まさに天変地異が起こるさなかそれを少しでもか
わそうと、あるいはあらゆる生命や霊界の魂たちが、見えざる神々や如来たちとともに必死に擁
護し、復興を支えてくれていることをこの氷の聖像は示しているのかもしれない。震災で亡くなられ
た方々を含め、あの世に旅立たれたすべての方々の冥福を祈る。



                              萬歳楽山人 龍雲好久

岩崎巴人禅家大老師 氷の秘蹟に 大いに感嘆されたり


勧請(かんじょう:仏尊をお迎えしお祀りすること)!明日香聖観世音菩薩立像(伝奈良時代
の木彫佛)



勧請!明日香聖観世音菩薩立像(伝奈良時代の木彫佛)

 奈良県の今は廃寺となりにし古寺の飛鳥の御代に祀られし南無観世音。
 明治の廃仏毀釈の折り、寺が焼き討ちにあふ。当時の信徒らが命懸けにて仏像を担ぎ出せども、
哀れなるかな観世音。御身と光背は焼け焦げて、見るも無惨な御姿となり給ふ。時は、維新混迷の
時代。廃寺となりて、観世音、護る寺も無く放置されたり。
 昭和になりて、このいたましき観世音を蘇らせ奉らんと願ずる者ありて、仏師を拝み、焼けた御
身と光背を元のお姿にと復元し奉る。この尊像のおみ足に彼の仏師が銘あり、仏師会心の作かとぞ
おぼゆ。台座と御手の蓮の華は焼けずに残りしものなれば、奈良の御世そのままのものなり。
 さて、この度、華厳宗某老師、奈良東大寺の後輩の某僧に「この聖観音を勧請し拝み奉らん寺あ
らば探されよ」と依頼され、偶々、法圓寺に立ち寄りぬ。法圓寺沙門好久、この五尺ばかりの聖観
世音菩薩をば一目見るや、我の心中にはなはだ大なる聖観世音(身の丈20メートルほど)が現れ
給ひ、しかもなお、その御足下にてわが母と伯母の並び坐りて「ありがたや、ありがたや」と拝み
たもふ姿見つけたり。おお!げに懐かしき母の慈しみ深き恩愛にもにたりければ、わがこころ、い
たく打たれにけり。されば、勧請し奉らんとおもへども、彼の僧曰わく。「納めるには弐百万円の
布施必要なり」と。これを聞きて、とうてい及ばぬことなれば、われあきらめて彼の僧に「これほ
どのありがたき観世音ならば、必ずや迎へ奉りて、供養し奉る御寺のあらん。他に探したもうべ
し」と告げて、早々に帰えしたりけり。
 翌日、一月二十八日、月例護摩の修法せし折り、このいと尊き南無観世音、わが心中に再び現れ
出で給ひて、のたまわく。「われ、正法をもって、汝らを加護せん。案ずることなかれ」と。(さ
てさて、これはこれ、わが貧乏なるを憂へ、励まし下さる南無観世音のありがたきことかな。たと
ひ、御尊像を勧請したてまつること叶わぬものなれども、われのあらん限り、陰にてご供養もうし
奉らん)と誓いたり。
 しかれば、さらなる日の翌二十九日、奇しきことにも、かかる観世音の御心を知りてか、知らざ
りてか、彼の老師、再び来寺したりき。彼の僧のいわく「われ、昨日、東大寺ゆかりの彼の僧と話
たれば、この観世音を供養し奉る僧は汝をおきて他になしとぞ思ふゆへ、御布施はいかよふにと
も、汝がみこころにまかせるがゆへ、必ず、観世音を勧請し奉るべし。これはこれ、南無観世音菩
薩のお告げなるべし」と申しはべりけるはいとおかし。
 
 ここに、不思議の法縁賜りて、ありがたき観世音菩薩を請じ奉りき。御名号をば『南無大慈大悲
の明日香観世音菩薩』と申しまする。

はろばろと 明日香(あすか)の里の観世音(かんぜおん) 鑞梅(かほり)ほのかな 陸奥(お
く)の古寺(みてら)に