真言宗豊山派



黄金天神・秋葉山・愛宕山・隠れキリシタン


2006年02月26日
天満天神・秋葉山・愛宕山

 天満天神(黄金天神)
 秋葉三尺坊大権現
 愛宕大権現
 
 
 法圓寺境内にお祀りされております黄金天神・秋葉三尺坊大権現・愛宕大権現は元禄時代から桑折町民の信仰をあつめ、伝統を継承し人々の心の依処として篤信されてきました。
 毎年、九月九日に恒例の祭礼を催し、学業成就や火伏せ・防災・家内安全・交通安全などの願を起こしまして、皆様のご家庭や地域社会の安穏と平安のご加護をいただくようお祭りを行っております。小さなお祭りですが、境内に夜店がでまして、昔ながらのほのぼのとしたお祭りです。
 
 ●書道展     同時開催             
 ●献 句     応募締め切りは、九月七日
 
   なお、当日「引換券」で、お守り『おふだ』とお供物のほか「お楽しみ券」をさしあげます。当日、午後六時より、「お楽しみ」が行われますので、お子さまと一緒にご参拝下さい。


2006年02月26日
黄金天神(本尊)

 黄金天神(おうごんてんじん)(宮嶋天神)

  天神様あるいは、天満天神、天満大自在天神は菅原道真公が神格化して、学問の神様として、広く信仰されております。近江の国の「北の天満宮」、九州「太宰府天満宮」は有名ですが、法圓寺にお祀りしてあります天神様は通称『黄金天神』あるいは『宮嶋天神』としたしまれ、不思議の縁により當法圓寺に祀られ、古くから人々の信仰を集めておりました。この天神様の縁起を紹介するものとして、元禄九年(一六九六)芭蕉の甥の天野桃隣が出しました俳諧集『むつちどり』にも次のように記載されております。「是れより段々出 桑折に着く。田村何某の方に休息。仙台領宮嶋の沖より黄金天神の尊像、漁夫引き上げ、不思議の縁により此処へ遷らせたまひ、則、朝日山法圓寺に安置したてまつる。忽ちの御奇瑞に諸人挙って詣づ。まこと所は辺土ながら、風雅に志す輩過半あり。げに土地清浄にして、人心柔和なるを、神も感通ありて鎮座したもうとは見えたり。農業はいうに及ばず文筆の嗜みにあいて、桑折にとどめぬ。
  天神社造立半
○石突に雨は止たり花柘」
 とありますように、法圓寺の黄金天神は元禄時代にはすでにお祀りされており、文化の守護神として、あるいは、雷神として、人々の信仰帰依を得ていたようです。
享保四年(一七一九)に出されました俳諧集『田植塚』にもその当時の法圓寺の境内図が描かれてありますが、そこには梅の古木と蓮池と『宮嶋天神宮』が描かれております。
 天神様の本地佛は『十一面観世音菩薩』であります。現在、法圓寺には黄金天神さまの御導きにより、この天神様の本地佛として、総本山長谷寺ゆかりの『十一面観世音菩薩』像一体が法圓寺の位牌堂に勧請しお祀りさせていただいております。


2006年02月26日
秋葉三尺坊大権現(本尊)

 秋葉三尺坊大権現(あきはさんじゃくぼうだいごんげん)

  秋葉三尺坊大権現が法圓寺に勧請されましたのはおそらく愛宕大権現と同じ頃で文化十一年(一八一四)の頃であろうと思われます。爾来、今日まで火伏せの神として御守護を賜っております。
 秋葉様は静岡県周智郡秋葉山の神です。秋葉神社の『火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)』を祭神とし、秋葉神社境内に『三尺坊大権現』を祀る「火伏せ」の信仰です。法圓寺の秋葉大権現はご神体が白狐に乗った飛行自在の修験姿の不動明王さまです。これは加納坊という修験者が不動明王の三昧に入った姿で、霊験のあらたかな大権現として秋葉の神を鎮守するようになりました。秋葉三尺坊大権現は、やはり江戸時代から日本全国に「火伏せの神」として広く信仰されております。秋葉様の本地佛は『大聖不動明王』であります。
 


2006年02月26日
愛宕大権現

 愛宕大権現(あたごだいごんげん)
  愛宕大権現は京都西北にある愛宕山の雷神・防火に守護神ですが、法圓寺の愛宕大権現様は文化十一年(一八一四)十一月三日法圓寺十一世宥精和尚によって勧請されたという記銘があります。ご神体は白馬にまたがった美男の将軍地蔵尊であります。祭神は『火産霊神』という火の神様で防火・火伏せや疫病除けの神として信仰されてきました。本地佛は『将軍地蔵尊』他五尊で、愛宕山朝日峯白雲寺にお祀りされております。法圓寺の山号が朝日山というのもいささか関係があるかもしれません。
 


2005年12月27日
法圓寺の隠れキリシタン『マリア観音』

法圓寺の隠れキリシタン『マリア観音』は写真左。中央は『雷神』。右は『古峰ヶ原』。
法圓寺の隠れキリシタン『マリア観音』については立教大学高田茂教授の『石のマリア観音耶蘇佛の研究』のなかで詳しく述べられております。
ノート:『黙する石が語り出すとき』
 境内の天神堂側の一角に自然石が一基祀られておりそれが何であるか長いこと不明であった。隣には「雷神」と刻まれた石碑があるが、自然石の方には文字も図像もなく、それが何であるかは知る由もない。ただ、昔から「これは隠れキリシタンのマリア観音でね。ある時間になると子供を抱いた観音さまが現れる」と古老から聞かされていて、子供心に興味を覚え、一日中じっと眺めたこともあった。しかし、何となく全体が赤子抱いた姿のようには見えるが、ただのごつごつした岩でしかなかった。
 最近、隠れキリシタンの研究をしているという方が突然訪ね来られた。あいにく確証する資料は何もなく申し訳ないと思っていると、逆に桑折町に隠れキリシタンが存在していたことを裏付ける米沢藩上杉文書の資料や立教大学高田茂教授の『石のマリア観音耶蘇佛の研究』などの貴重な資料をたくさん頂戴した。その中で、この寺の自然石がマリア観音として紹介されている。
 桑折には半田銀山があり、奥州・羽州街道の分岐点であるので、かなり多くの隠れキリシタンが移り住んでいた。
 元和年間の徳川幕府によるキリシタン禁教令や追放令はきわめて過酷なものであった。処刑された者は数限りなく、奥羽に逃れた隠れキリシタンも転びキリシタンとして子供や孫たち六代に及ぶまで差別されてきた。それは世界史上まれにみる弾圧と殉教の歴史でもあった。
 今日でも、殉教者と称する者たちの痛ましくも激烈な行動は世界中を震撼させる。しかし、ごく一握りの支配権力の犠牲になる者はいつの時代も純真で敬虔な大衆といわれる人々である。
 それはともかく、なぜ、この寺に自然石のマリア観音が祀られたのであろうか。この寺に「天神」や「雷神」や「観音」が祀られてあり、それが「天にまします神」や「ゼウス」や「聖母マリア」を隠れて信仰するにはちょうどよかったからなのであろうか。
 突然の来訪者に触発されて、夕日が沈む頃まで、じっとこの自然石マリア観音を見つていた。相変わらず寡黙な石ではあるが、ふと、こんな声が聞こえた。
「それは悲惨なものでしたよ。同じ血の通った人間同士が信仰や立場の違いでお互いを疑ったり、争ったり、殺したりするのですからね。こんな悲しい光景はありません。何が人をしてこんなに狂わしめるものなのか。ほら、耳を澄ましてご覧なさい。聞こえてきませんか。諸々の人々の悲痛な叫び声が。攻める者も攻められる者も、信ずる者も信ぜざる者もみな同じく悲しみもがき苦しんでいるのですよ。誰もがかけがえのないいのちを頂戴しているというのに、どうして人々は利害や主張にこだわっては争わざるを得ないのでしょうか。私はこれまでずっと人類の愚かな悲しみと苦しみの声を黙って聞き続けてきましたが本当に悲しいですね。」
 江戸時代に建立されたマリア観音。実はあまりにも凄惨な宗教弾圧を見かねたこの地の人々の、同じ人間として、本当の救いの神は見えないところで一であり、この世でみな倶に共生すべく生き延びよという大慈大悲の思いが込められているように思える。
 どうやら、この自然石は、今、世界に向けて、長い沈黙を破り、人類の悲しみの歴史を少しずつ語り始めてきたのかも知れない。愚かさを繰り返さないようにと・・・・
 


2019年07月29日
天満宮・秋葉山・愛宕山のご本尊をお祀りする厨子の二種類の紋章はキリシタン信仰を暗示している

朝、秋葉山の権現堂に入りお参りをしていて、ふと、これは一体何の紋であろうかと気になった。それまで、全く、気にせずにいたものだった。寺の古老達も全くこれについては教えてくれるものもなかった。

●下の紋は、これは単に飾り金具としてこれまで誰も気にしていなかった。不思議に厨子中心の天地に打ち込んである。毎日拝んでいて、不思議でならなかった。この神々しさは圧倒的な光である。
 ふと、天からの声がしたような気がして、調べて見た。
 なんと、紋で言うと「大村日足紋」すなわち太陽である。この紋は北九州地方に古くから見られる紋らしい。キリシタンに間違いない。最初のキリシタン大村忠純の流れを汲むものがこの厨子をいわゆる「天満宮」を「神を祀るお宮」として厨子を奉納し、密かにキリシタン信仰をしていたことが窺える。




●下の紋はこの厨子の開き扉にはめられている。
小さい頃から拝んでいて、なんとも思わないできていたが、ふと、◆が三つもあるのはどうしてか。最近法圓寺に出現しているあのマカバ◆に関わるのか。そんな、江戸初期に建てられたこの厨子にそのようなことがあるのであろうかと気になりだして調べた。
この【滕紋】といわれ○内に描かれている。神社仏閣では縁結び結縁のご加護を祈る紋であったらしい。しかし、この紋の発祥地はやはり北九州
地方に見られる紋である。
 実は小生が見るとこれはマカバ◆が三つつながっていることを示している。すなわち。「三位一体」である。これは「天神様と愛宕様と秋葉様の三つの神様の一体化」と見えるが、実はキリシタンの「三位一体」の信仰が隠されていたと思われる。





●そして驚くなかれ!法圓寺境内には平成20年から、度々、聖体出現の秘蹟が起きている。




2019年11月23日
奇蹟の勧請:古い隠れキリシタンマリア観音の厨子入りの聖像

隠れキリシタンマリア観音(令和元年法圓寺勧請)


この古い隠れキリシタンの厨子に入った聖像は、奇しくも、令和に入り、ローマ教皇が日本におつきになられ、飛行機のタラップを降りられるときに、この寺に届きました。
 この隠れキリシタンの聖像の勧請は、偶然とは思えません。
おそらく、令和の時代は信仰やイデオロギーを超えて 不生の仏心の法燈を絶やさぬよう
大慈大悲の聖観世音菩薩とともに不生の仏心であらねばならないという、如来さま方の必死なメッセージなのでしょう。
 新型コロナウイルス感染爆発が、世界中に蔓延し、実に多くの尊いいのちが失われ、人類がその脅威におびえながらも、心を合わせて、その脅威を克服せんと必至に闘っております。

 がらーんとした大聖堂でひとり祈りを捧げておられる教皇のお姿が、この由々しき事態の厳しさを如実に示すかのようです。
 慄然たる想いです。


メタトロン(パワートロン冠するエルランティ)
法圓寺蔵

 この聖像もそうでしたが、世界中ではほとんど知られていないこの寺に、様々の難事に直面しているこの時代に、聖観世音菩薩が次々と勧請せられたのも、不可思議でなりません。



 かといって、この難事に直面して、この寺も私も全くの役立たずです。日々、収束を願いひたすら祈るのほかないし、そうしたところで、何の意味もないでしょうが・・・・。

 世界中で人類の共通の難事に直面しているからこそ、その人類の救済に尽力されている神々、菩薩達がおられることを決してわすれるな!と言わんばかりに、こうして隠れキリシタンの聖像や古い如法の
聖観世音菩薩がこの寺にお出ましになったように感じられてなりません。

 見えざる世界の聖なる力はいま汝等の中に生きつづけとともにある。
 みな、こころを合わせて、いま、この世に生を受けて、身を粉にして働いている菩薩や天使達ととも、必ずや、未来のためにも、いまここで、この未曾有の難局をのりこえられるように、みな、菩薩として生きていけと、お励ましくださっておられるのかもしれません。
 
南無大慈大悲観世音菩薩
 

参照
@念彼観音力 加持護念
https://drive.google.com/open?id=1pGPhVcpWN-Rf9hRRfmFxI7vZciCOXuMq




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