朝日山萬歳楽院法圓寺

「 いろは歌」にこめられたコトワリ

法坐副読本「 いろは歌」にこめられたコトワリ


はじめに


 法圓寺の境内に氷による仏像や聖山など不思議な造形物が出現し、特に、近年になって、「三角四面体」が頻繁に示されるには、何か訳けがあるのかもしれないという気がして、暗中模索の探求を続けている。人生のほとんどを宗教的なことがらに終やしてきたこともあって、この不思議な造形の神聖幾何学的意味合いを探りたいという気持ちはあったが、しかし、すぐに、秘教や秘教科学に飛びつく気にはなれなかった。理由は、こういった見えざる不可視の世界を取り扱えるほどの信頼できる見識が自分には乏しいことと、どうしても、こういったスピリチュアルな世界観の背後にうごめく、迷信や妄想、欺瞞姓あるいは狂気に対する嫌悪があった。

 だが、そうした、秘教などに対する嫌悪とは全く無関係に、自然現象を通して、身辺に、次々と説明がつかない不可思議な現象が起り、しかも、その真意を示唆するかのような幾多の文献を手にしたりするので、これは、まるで「向こうから示されてくる」かのようにすら思えるものがあった。しかし、これも小生の受け止め方の問題ではあるが、決して無視できるものではなかった。

 平成22年12月に池袋のブックセンターで偶然手にした書籍もそうであった。その当時の小生は、こういった関係のものにほとんど関心がない状態であったから、まず、書店で目にしても、通り過ぎるのが常であった。問題は、書店でふとなにげなく(もし、私が読むべき本があればお示しください)と祈りににた思いに駆られることはしばしばあった。こうした、自然に湧く自分の思いの後、その場にあった本は必ず手に取るようにしてきた。 祈りというほどのものではないが、そうして手にした書籍は昭和51年以降、すでに数十冊に及ぶ。しかも、すべて、思惑を超えたつながりがあることに後で気づかされるものであった。一冊として外れたものは無かった。前もっての情報や関心を基に調べ、選んたものではないにもかかわらず、不思議に、何らかのテーマに沿っってあたえられているものであることに気づかされる。こうしたことが、小生の超宗教的な不可視のもに対する愚考の背景にある。

 さて、平成20年から度々現象化した「つくばいの中に氷の三角四面体が出現する」の前後にも与えられた文献は数冊あった。中でも大きく関連していたものに、平成22年末にたまたま手にしたJ.Jハータック著『エノクの鍵』と楢崎皐月の『日本の上古代文明と日本の物理学』の書物があった。たまたま手にした本とはいえ、どちらも関心外であり、楢崎のものは、普段、出入りしている書店にはないものであった。しかも、一見する、どちらも読み込むにはかなり難解なしろものであった。

 ところが、『エノクの鍵』の序文に目を通すと、なんと、そこに、かつて、ある恩師が直接語っていたこととかなり符合するとも思われる文脈を発見した。それは、恩師が昭和51年6月に他界する直前、病身を押して小生に聞かせたある不可知の世界に関するものであったが、その内容にかなり近いものというより、恩師は残された時間がなかったので、身近にいた小生に語り聞かせるのが精一杯であった内容でかなり大雑把ではあったのだが、それを精緻に補完する以上の膨大な内容に満ち満ちていた。恩師の話を受け止めきれなかった小生には、まさか、これほどまでに符合する文献に遭遇するとは夢にも思っておらず、驚愕せざるを得なかった。それがこの『エノクの鍵』なるものを読み込まなければならないという動機であった。さらに、驚くことは、そこには、法圓寺のつくばいに度々出現する氷の聖像や三角四面体に関する重要なヒントとなる記述が小生の理解を遙かに超えたものとして書かれていた。もちろん、この書物の真偽のほどは小生には全く不明であるが・・・。

 さらに、小生がこれまで全く知らなかった楢崎皐月の『日本の上古代文明と日本の物理学』の論考に関しては、しかしながら、極めて明晰であり、核心に迫るものがあると感じられた。もちろん科学や古代の文献に全く疎い自分ではあるから、その評価はできないのだが、しかし、なにか大事なことを伝えようとしているのではないかと魂を揺さぶるものがあったのである。はたして、この楢崎の物理学の内容について、今日の物理学がどう評価しているのか、あるいは全く評価にも値しないものなのかはわからなかった。しかし、最近、湯川秀樹博士の研究を継承する保江邦夫博士という物理学者が監修した『完訳カタカムナ』(保江邦夫監修・天野成美著)を手にすることがあって、この本の中で【楢崎の潜象物理と湯川の素領域理論は全く合致する】とはっきりと明記されている。このことによっても「楢崎の日本の物理」には、やはり、何かがあると思わざるを得なかった。

 さらに、楢崎の説にまるで光を当てるかのようなテレビ番組を令和3年正月にであった。番組の内容は「英雄たちの選択 スペシャル 「古代人のこころを発掘せよ!!」であり、その中で、【個性的でミステリアスな姿が大人気の「土偶」。その顔の表現の変遷から縄文人のどんな心理が読み取れるのか?弥生時代の「テクノポリス」と驚きの「海洋経済ネットワーク」とは?カラフルな幾何学模様で埋め尽くされた「装飾古墳」には、人々のどんな心情が投影されているのか?縄文・弥生・古墳、3つの時代をディープに掘り下げ、現代の日本人にもつながる“古代人のこころ”を探求。ロマンあふれる古代史の魅力をひもとく!】とあった。

 この中でとりあげられていた「王塚古墳」にみられる幾何学模様が、世界にも類例がない高度な日本独自の文化を示唆しているというものであった。

 もちろん、この番組そのものが、法圓寺に出現している氷の三角四面体やら楢崎の日本の上古代文明における物理学のことを取り上げたものでは全くない。にもかかわらず、この番組の中で、【王塚古墳などの古代人の幾何学模様が潜在的に、日本人の自然との共生における高度な直観性があった】と論究していること自体が大きな驚きであった。まさしく小生が探っている「三角四面体」そのものが描き出されていたのである。

 上古以前には日本には文字がなかったといわれているようだが、その、文字いう定義は一体何だろう。確かに、古事記や日本書紀が世に出されるときは中央集権国家として中国や朝鮮半島の先進的な高度な外来文化を吸収し統治しようとしていた時代だ。彼ら為政者の記述は、これまでの日本古来の文化に対し「ここにすむものたちは、木や植物や獣とことばを交わす奇怪な者たちであった」などと、極めて未熟なものとされていた。このようなことは、我が国の文化や産業革命の転換期にはえてして起こっており、近代においても経験している。明治維新の文明開化の新しい潮流の名の下、先進諸国の文化に比べ日本の文化は未開人の稚拙で迷妄な文化だと蔑視することで、欧米の列強に追いつき追いこさんとする。この為政者たちの西洋文明に対する憧憬と思惑が、これまで長い時を経て醸成されてきた日本の豊かな文化そのものを愚昧なものとして蔑視してきた経緯がある。また、昭和の終戦後から今日に至る日本においても、それに近い感覚があったように思われる。エコノミックアニマル。「日本教」といった、日本人の何でもありの無信仰的感覚を揶揄するものまで現れていた。しかし、世界に蔓延する紛争の原因がイデオロギーや宗教にたいする偏執性に起因している現実をまのあたりにし、世界が、日本に古来から醸成されてきた豊かな文化のありように感銘し、人類の奇蹟すら感じるという。日本の今より昔の日本に魅力を感じるとは、なんとも皮肉なものである。

 推し量るに、文字がなかったといわれる日本の上古代の文化は、本当にことばもない未開の文明であったのだろうか。遺跡の発掘調査が進むにつれ、必ずしもそうではない歴史の事実が明るみに出てくるかもしれない。確かに漢字のような文字はなくとも、日本人の生きたことばは存在していたという方が自然である。一万五千年以上もの間、全く戦争がなかった文明、すなわち、縄文時代は、人類史上希有なる文明であったと、世界中が見直している。自然と人間とが共生し、豊かな文明を築いていた文明は有史以来、縄文時代をおいて他にはないと、世界の注目を浴びている。また、欧米人は、日本に対し、明治以降のものまね文化にではなく、明治以前の日本文化に、たぐいまれな香り高い豊かな文明や文化があって、それが素晴らしいとまで語っている。

 さて、ここで「あの氷の三角四面体の謎を紐解く鍵があるのではないか」として小生が楢崎の論考を取り上げる理由は、楢崎が写したという古文書の渦巻き状に記された幾何学模様を解読した結果、そこには日本における上古代の文化の哲理や科学が説かれていることに気づいたという点にある。そこには楢崎自身がまだ及びも付かない高度な物理理論がすでに解かれていて、それはまた日本人の原初のことばの表音文字であったという。古事記や日本書紀が編纂された時代に、日本に大きな影響を与えたという漢字にも、ハングル語にも、サンスクリット語にもない、日本独特のことばがあって、しかも、それは、今でも日本人の母国語として生きているというのである。

 話は、飛躍するが、弘法大師空海の時代は、漢字文化を自由に繰ることができる者は日本の社会でほんの一握りの者であった。しかも、その彼らが自らの学識を世界に表明する拠り所とするのは専ら漢文であった。空海も真言密教立宗開示する際、漢文で表現していた。しかも、空海の文化的宗教的素養の高さは、当時の唐の文人墨客や僧侶たちが敬服するほどの天才ぶりであった。

 しかし、いささか残念に思うことは、空海の日常の話しことば、その当時の日本の一般庶民のことばである母国語が典籍からは聞こえにくいことだ。日本の庶民も漢語でしゃべっていたのであろうか?漢字は上層部の教養の高い一部のもので、後は、漢字は全く読めなかったという。母国語、生活用語、普段の話しことばは、おそらく、外来文化で根こそぎ壊されない限りもちろん、表音語としてつたわるものが縄文以前から培われていたはずだ。記録は残っていないかもしれないし、焚書坑儒のように全く捨てられてしまうこともあっ多かもしれない。しかし、そこに人々が暮らしがあったのであれば、必ず、人を通じて、生きたことばはあり、また、母から子へと伝わる母国語は消えることはないはずである。

 近代・現代おいてさえ、明治以降ドイツ語や英語が規範とされたからといっても、日本語が使われなくなることはないように、母国語と言われるものは、子供が育つ環境の中で誰もが自然に親から子へと引き継がれる母国語を身につけている。世界中どの国もそうである。

 さて、楢崎はそうした母国語の一部として解析した渦巻き状の幾何学文字が、確かに、日本の母国語で読まれた八十種の七五調のウタであることに気づいたという。それと同時に、そのウタの一部に日本語という母国語の原語の表音である四十八音が一音づつ織り込まれているウタに気づいた。それを基に時間をかけて八十種のウタを解析した結果、このウタが母国語を通してその当時の古代人の高度な天地自然の文明を伝授していたものであること、しかも、旧事紀や神代文字よりも更に古いものを伝えていることなどを解読できたという。

 話は、また飛躍するが、江戸時代後期に慈雲尊者穏光という高僧がいて、鎖国状態の当時としては驚異的なインドのサンスクリット語学に精通した真言密教の僧であり、祖師であり、あらゆる仏道に精通し、「釈尊に帰れ!」と、庶民にも理解できる仏教を広く説いていた。この慈雲尊者は晩年、日本文化の基底にある神道に深く傾注し、自ら「雲傳神道」を確立する。そのなかで慈雲尊者は「日本は漢民族や大陸の民族にも劣らない、また、外来の佛教や儒教や道教にも劣らない極めて高度な独自の文化を擁していたのだ。」と明記している。この神道は空海の両部神道を継承するものである。


 そこで、小生は浅学なれども、【日本人の母国語四十七文字とンを加えたの「いろは歌」(空海作伝)を楢崎の解読した上古人の日本語の原意「ひふみよいまわりてむなやこと云々」のウタの理念から読み取れば、この「いろは歌」は何を伝えようとしているのか】それがわかるかもしれないと思い立った次第である。

 この解読方法は、「いろは歌」の従来の説とは全く異なるものとなる。それも、楢崎の理念による翻訳であるから、必然的に、この「いろは歌」の解釈は楢崎の理念で描かれるものとなる。

 果たして、上古人の理念が楢崎が解読した理念であったかどうかは、知るよしもない。もちろん学説上認められているものでもない。しかし、楢崎が解読した日本人の母国語の理念、その理念の基にある日本語が、上古代人の直観した宇宙観、天地自然の物理からきているということに深い関心がある。

 後述するように、「いろは歌」に織り込まれている上古人の直観物理は何の矛盾もなく、理路整然と、現代科学を持ってしても驚愕すべき内容として織り込まれていたことになるのである。

 さらに、「ン」についてであるが、空海の『吽字義』はまさしく真言密教の奥義である。日本語のンとサンスクリットの吽の違いはともかく、「ン」の響きを調べてみると、空海の『吽字義』に解かれる内容と楢崎の潜象と現象の物理の理念が全くの相似象にあるように思われてしまうのである。もちろんこのような見解は学問的ではないにしろ、「いろは歌」を解読してみて初めてわかったことで、驚かざるを得なかった。 

 法圓寺の境内に示された「氷による三角四面体」から、自身のなかにおける空海の奥義に再び光が当たる思いがして、歓びに堪えない。

 この思いを、ご縁のある方々にもお伝えできればというつたない願いながら、まとめさせていただいた。

 まだまだ探求の緒に就いたばかりで、理解ははなはだ浅く、誤解も多いことであろが、私見としてのものであるので、読者にはご容赦を賜りたい。

 令和4年1月1日改訂                                                  萬歳楽山人 龍雲好久


                      
いろは歌の仏教的理解




解説
龍樹菩薩は現象世界を「虚妄の法」とし、常識がこれに反して知覚表象を静止的に捉え、それらから抽象した実体的観念を外界の特徴が捕捉されたものであると見るのを排除し、それら表象から抽象され、記憶された形態と名称(名色」)の実体的観念による「言語表現」を否定した上で、知覚表象の原因になる変動〉が過去と未来の境になる〈今〉として〈経過〉しつつ、新たな〈今〉に替わられて消失するのを「空」もしくは「非(有・無)自性」の実相と諦観していた。
 仏陀は、知覚表象を記憶されている「色」に同定して「有為法」と見るなと戒めた。
 龍樹はその教えに沿い、『般若論』において、最終的に実体的な「生・滅」をする「有為」が外界に成立しないと論証し、それに位置を与える「虚空」の「無為法」も成立しないと否定した。
 龍樹は、知覚される表象が「蜃気楼」のような在り方をしていると述べる。
 先ず『般若論』冒頭の「帰敬偈」に、知覚されている「縁起生」について、それを宣言した。
最勝の方に私は敬礼する。 ここでは、「縁起生」するのは、外界に実体が「生・滅」するのを捕捉しているのではなく、知覚における、知覚原因の〈変動〉に由来する知覚表象の顕現・消失であると言う。そのことを説明するため、世間で誤って認識されている生成変化と、移動変化とを分けてそれぞれを対句にし、それらの変化に欠かせない正しい様態の事情も「非(a/an)」による実体否定表現で示した。その背景的事情を他の二対句で同様に「非」により否定し、部派仏教の法有説を排除し、総括している。

 解説すると、次のように理解されるべきであろう。

 外界における〈変動〉は、過去と未来の境の〈今〉に位置して〈経過〉し、消失して、常に改まっているので『八千頌般若経』第六章に説かれるように、
無常な外界は〈今〉静止したものとして成立しないまま〈経過〉し、消失する。知覚原因は外界にある静止した対境ではないため、われわれには捕捉されない。したがって、表現されることもない。このように〈経過〉し、消失する〈今〉の〈変動〉に向き合いながら、生物は天与の知覚能力によってこの〈経過〉の「相続」を、瞬間毎に持続する軌跡の形に変えて「感受」する。このことによってわれわれは、生理機構の中に「現在」という一瞬の、虚構の滞留を構成しながら、そこに「縁起生」を進行させ、表象の知覚を成り立たせている、これ以外の方法で、外界の在り方は生体によって捕捉出来ない。

 『般若論』の基本的な考え方では、仏陀の言う「縁起生」は、このようにして知覚が外界の「変動する経過」に向き合って毎瞬間取り込んだ軌跡を「感受」しながら、表象を成立させている事情だと見る。つまり、「帰敬偈」は外界の実体的な「有為法」成立を否定し、知覚に虚構として「縁起生」する、生理的「現在」の表象形成を仏陀の説いた趣旨に即して表現しているのである。

 生体の知覚は一瞬間にその感受を纏め、そこから静止的もしくは変動を曖昧な状態で思わせ、表象を経験する。ただ、経験し終わったとき、外界の先験的な知覚原因はすでに〈経過〉し、消失しているので、表象も構成された直後に失われる。このような理解に立っている。それは知覚にのみ「顕現し、消失する」ので外界にそれらに相応するかに見える実体的「生・滅」はない。それ故この表象の「消失、顕現」を「滅するのでなく、生ずるのでない」と言う。

 普通相前後する表象の連鎖は一々知覚に意識されない。「知覚原因」の〈変動〉が〈経過〉し続けるため、どのような場合も、同じ表象が重ねて知覚されることはない。このことを仏陀が『スッタニパータ』七五七番で教えている。

 前後の別を意識できなくとも、決して変わらぬ実体が外界にあって前後同じ表象によって「常住」な在り方を知覚に伝えることはない。

 「虚妄の法」とされる表象が前後で異なって知覚される場合も、先にあった実体が滅してなくなり、後の実体が生ずるようなことはなく、一旦虚無になる「断滅」状態と新しい「常住」状態が忽然と成立するのではないとしているのである。

 次々の瞬間に顕れる表象は前後が区別できないため、「静止像」としてしか意識されないが、それらの前後が相違する場合を捉え、われわれは「時間」毎の「推移」を意識する。この「時間」は理論的には表象の成立する瞬間相応の「現在」毎に刻まれることになるであろう。
 その「推移」は、部派仏教の「有部」が言うように何処かの『未来』にあった実体が忽然と目の前の外界に来て現れたり、あった実体がどこかの『過去』に卒然と去ったりするような形で成立しているのでないと判断される。それが「来るのでなく、去るのでない」という表現になる。それゆえ、そこに推測される「推移」の前後に表象の顕現と消失が繰り返されても、それらに相応して写される「言語表現」どおり、外界に、不変の実体的対象があったり、区別が生じて「変化」したりして、前後同一であったり、区別があったりはしないというのが「一たるものでなく、区別のあるものでない」という表現になる。以上の立場で「帰敬偈」が書かれている。
 このことを意識して議論するため、以後瞬間的に「縁起生」して知覚される「表象」の様態を「毎瞬間的顕現」と示すことにする。加えて言うなら、従来の理解では、祖師たちも研究者もこの「帰敬偈」を「八不」と称しているが、訳語からして誤りである。否定辞は「不」ではなく全て「非」が冠せられている。この「非」の意味は、論理的な「排中律」に従って、実体的な在り方の一方を否定して他方の実体を指して、それで全てだとする場合の「非」ではなく、正否の両概念の実体的な在り方そのものを全て否定する「非」であり、仏陀が成道直後の宣言に自らの哲学が「論理的思考」の範囲外で説かれているとしたことに従っている。


龍雲の解:上述の『ブッダ親説』や龍樹菩薩の『般若論』が指摘するところの虚妄の法とは、畢竟、これから取り上げる「阿字本不生」や「いろは歌」の日本物理的解が、「現象」と「潜象」互換重合せる不可知の事象であるから、現象や潜象における生滅をみて実体の生滅と見ることは阿字本不生の「現象」と「潜象」互換重合せる不可知の事象たる「空の実相」を見逃すことになるのである。


いろは歌の日本物理





































あとがき
 上古代人の文化に関する幾つかの視点があることに導かれることがあった。それまで、上古代人の文明については全く知らなかったが、法圓寺の境内のつくばいに、平成20年以降、自然現象とはいえ、ときおり出現する氷の聖像(神聖なるものをかたどっているように見える)のなかで、三角四面体の幾何学的造形が頻繁に出現し、「どうして、このような幾何学的造形が繰り返されるのか」不思議でならなかった。
 自然現象なのだが、その神聖性に意識が向くというのも、小生の精神的風土が寺であったからであろう。不思議に思う中で、ことさらに曼荼羅図像や五輪塔、慈雲尊者の雲傳神道、ヘルメス文書、神聖幾何学、神智学、ハータックの『エノクの鍵』さらには王塚古墳などにおける図像文様など実に興味深い文献に集中的に巡り会うことがあった。今回、取り上げた、楢崎皐月の『日本の上古代文明と日本の物理学』もその中の一つであった。特に、楢崎の研究内容については、この文献に巡り会うまでは、全く、その存在すら知らないものであった。不思議なことに、楢崎の文献が次々と手に入り、それを読み込む中で、驚いたことは、小生は、昭和53年頃、すでに、ある人物を通し、楢崎の理論に触れていたことであった。そのときは、端正な姿をした老人がある方に伴われ尋ねてきたのであるが、「自分は合気道と、かけはぎの仕事を生業にしている。しかし、ある事情で、それは世を忍ぶ仮の姿であって、本来は日本の上古代に関する研究をしている。私の弟子には東北大学で教鞭をとるものもいる。」という。記憶ではこのとき、彼は、小生が後で知る楢崎皐月の名は一切口にしていなかった。だが、上古代からのものだというその内容は、四〇数年たって偶然手にした楢崎皐月の『静電三法』の解かれてあるものであった。尋ねてきた古老は、それを古い古文書に記されているものとしてその内容を小生に紹介していた。彼の話からして、学識も見識も高く、宗教的にも蘊蓄の深い人物ではあるが、日本の歴史は書き換えられていると主張し、いささか奇異な話をする人物であるという印象であった。特に、「三尺四方穴を掘って木炭を3俵埋めておけばそこの磁場が浄化され、あらゆる生き物のエネルギー浄化を図ることができる。あなたは住職としていろいろな人の困り事の相談を受けることもあるのだろうから、何かあったら、古文書に伝わるこの方法教えてあげなさい。」と、詳しくその方法や効果について話してくれた。さもありなんと、この古老から聞いた方法を、困っている方々に伝えることもあったが、程なくしてこの人物が他界したこともあって、ほとんど、この分野のことは気にもとめずにきていた。まさか、平成も終わり頃になって、たまたま手に入れた楢崎皐月『静電三法』に書かれている内容だったとは・・・。出元が楢崎皐月の研究本であることがはっきりした。今思えば、もっとよく勉強しておけば良かったと、自分の愚鈍さを恥じる。 
 このようなことから、何か見えざる世界からの手ほどきを得ているという感覚が残るのである。そもそも、小生がはじめからこうしたことに興味があったわけではなく、氷の現象のように、そうした文献や人物を通して、たまたま示され、それが全て関連していることを後で気づくということ。これは、何も小生ばかりではなく、ほかの方々にもよく起きることであろう。この頃、あたかもシンクロナイズするかのように、同時に、日本の上古代人の文化に関する文献に幾つか巡り会っている。一つは慈雲尊者穏光の雲傳神道。空海所伝の十種神寳・麗記紀、先代旧事紀など。他に世界の秘教に関わるものなどであった。これらは、何度も言うように、その奇縁を与えられたかのようにして出会っている。今はインターネットで検索する時代であるので、概して楢崎に関連するネット上の情報は、あまりよいものではなく、全く興味は無かった。楢崎の研究の信憑性を疑うものもは多いようであった。
 小生も、もし、『日本の上古代文明と日本の物理学』を手にしていなければ、まず、まったく取り上げることもなかったであろう。
 しかし、楢崎自身による「日本の物理学」連続講演会予稿に目を通すうちに、この楢崎の潜象物理の理論が、小生がライフワーク上最も困難な命題としていた「ブッダ親説」対「不可知の雲」の命題に一条の光を投げかけているような気がしてならなかった。この、命題に苦悩していなければ、氷の現象である三角四面体も、神聖幾何学上の問題も、唯識や瑜伽思想も、スピリチュアルな問題も、小生には無意味であるばかりか、迷いの最たるものでしかなかった。
 しかし、そうはいっても、これらのものは、凡庸極まりない小生が扱えるほどたやすいテーマではない。まして、時代を問わず、洋の東西を問わず、天才が明示した諸文献を云々すること自体不遜極まりないものであろう。
 しかるに、なぜか、頻繁に、小生の身辺で遭遇する不可思議な奇縁には、ひとえに、そこに、「見えざるものの、何かしらわからない不可知のもののはからいがある」ように思われてならないのだ。

 さて、世界は新型コロナウイルス感染症の問題で震撼し、この寺も、ひっそりと平成三年の年末年始を迎えていた折しもの、手元に一冊の本が置かれた。
『完訳カタカムナ保江邦夫監修・天野成美著』明窓出版
 この中で理論物理学者である保江は「楢崎の理論は自分が恩師湯川秀樹から引き継ぎ生涯かけて研究してきている【素領域理論】と合致する宇宙原理であり、それ故にカタカムナには超弦理論の主張が入っているはずもない。」というコメントを載せている。
 この本に目を通しているうちに、ふと、あの「いろは歌」が心に浮かび、この「いろは歌」をこのカタカムナで紐解くとどうなるのであろうかという思いにかられ、急ぎ、いろは歌をこの書籍をもとにカタカムナで訳してみた。その内容は上記に記したとおりであるが、驚愕せずにはおれなかった。むろん、カタカムナの理論で解読するのだから、当然、どのようなものであってもカタカムナの世界で描かれるわけではあるが、これによって「いろは歌」の全く違った世界が開かれる。それはまさに空海の真言密教が見ていた世界に通じ、それは、とりもなおさず、まさに「ブッダ親説」の「阿字本不生」をも開くものであった。
 だが、ことは小生が考えるほどそう単純なものではないのであろうが、令和四年の年末年始を迎えるにあたり、まだまだ、世界に猛威をふるっている新型コロナウィルス感染の脅威のさなか、独り本堂で黙想していると、どうしても、一年前にまとめた法坐資料であるこの「いろは歌」のことが気になり、再び取り上げることとした。小生のようにカタカムナをしらないものが翻訳しても、誤訳や、誤読が生じるであろう。が、「いろは歌」ダイナミックな宇宙創造の無常なる潜象と現象の重合された不可知の原理が説かれている。
「いろは歌」は今日に至るまで日本人の心の底流に流れるものである。仏教・雅楽・和讃など通じ、日本語の原点として「いろは歌」は流れている。それはまさに大宇宙大自然界における大慈大悲のヒビキを歌っているものであった。
    令和4年1月1日元旦
                                                                              萬歳楽山人 龍雲好久

   参考文献
仏教・密教・神道関係:
    『評説インド仏教哲学史』山口瑞鳳著  岩波書店
    『弘法大師著作全集』編集者 勝又俊教 山喜房佛書林
    『現代語の十巻章と解説』栂尾祥雲 著 高野山出版社
    『慈雲尊者神道著作全集』       八幡書店
    『先代旧事本紀』訓註大野七三      批評社
    『先代旧事本紀』[現代語訳]監修者 安本美典 訳 志村裕子
                        批評社     
    『校註解説・現代語訳 麗気記T』大正大学総合仏教研究所
                    神仏習合研究所 法藏館
カタカムナ文献関係:
     『相似象』相似象学会誌 1号から15号 編集者 宇野多美恵
     『カタカムナへの道・潜象物理入門』関川二郎著・稲田芳弘編
     『完訳カタカムナ』保江邦夫監修・天野成美著 明窓出版

カタカムナ文献関係:
     『相似象』相似象学会誌 1号から15号 編集者 宇野多美恵
     『カタカムナへの道・潜象物理入門』関川二郎著・稲田芳弘編
     『完訳カタカムナ』保江邦夫監修・天野成美著 明窓出版